エントロピーは「無秩序さの尺度」として知られますが、その本質は自発的変化の方向性を決定する熱力学量です。第2法則は、孤立系ではエントロピーが常に増加することを述べ、自然界の不可逆性を説明します。材料科学では、エントロピーが相安定性、合金の混合挙動、欠陥形成を支配します。
学習目標
この章を読むことで、以下を習得できます:
基本理解(Basic Understanding)
- ✅ 熱力学第2法則の複数の表現(Clausius、Kelvin-Planck、エントロピー表現)を理解する
- ✅ エントロピーの物理的意味と統計力学的解釈(Boltzmannの関係式)を説明できる
- ✅ 可逆過程と不可逆過程の違い、エントロピー生成の概念を理解する
- ✅ Carnotサイクルの原理と熱効率の限界を説明できる
実践スキル(Practical Skills)
- ✅ 可逆・不可逆過程におけるエントロピー変化を計算できる
- ✅ 材料の配置エントロピー(混合エントロピー)を計算できる
- ✅ 欠陥形成エントロピーと平衡欠陥濃度を計算できる
- ✅ Pythonで統計的エントロピーとマクロ状態の関係を可視化できる
応用力(Application)
- ✅ 合金における混合エントロピーの役割を理解し、相安定性への影響を予測できる
- ✅ 秩序-無秩序転移におけるエントロピーの役割を説明できる
- ✅ 材料プロセスにおける熱効率の限界を評価できる
2.1 熱力学第2法則の定式化
自発的変化とエントロピー
第1法則(エネルギー保存則)は、エネルギーが保存されることを述べますが、変化の方向性については何も教えてくれません。例えば:
- 高温物体と低温物体を接触させると、熱は自発的に高温側から低温側へ流れる
- 気体を容器に入れると、自発的に全体に拡散する
- 2種類の金属を混合すると、自発的に混ざり合う(ある条件下で)
これらの逆過程(低温から高温への自然な熱流、気体が容器の片側に自発的に集まる)は、エネルギー保存則に矛盾しないにもかかわらず、自然には起こりません。この自発的変化の方向性を支配するのが、熱力学第2法則です。
第2法則の古典的表現
Clausiusの表現
熱は低温物体から高温物体へ自発的には流れない。他に何の変化も残さずに、低温側から高温側へ熱を移すことは不可能である。
Kelvin-Planckの表現
単一の熱源から熱を吸収し、それを全て仕事に変換して他に何の変化も残さないような熱機関(第2種永久機関)は実現不可能である。
これら2つの表現は等価であり、どちらも熱エネルギーの不可逆的な性質を述べています。
エントロピー表現
Clausiusは、第2法則を数学的に表現するためにエントロピー(Entropy)$S$という状態量を導入しました。
エントロピー変化の定義
可逆過程において、系が微小な熱量 $\delta Q_{\text{rev}}$ を温度 $T$ で吸収するとき、エントロピー変化は:
$$dS = \frac{\delta Q_{\text{rev}}}{T}$$
有限の過程では:
$$\Delta S = \int \frac{\delta Q_{\text{rev}}}{T}$$
Clausiusの不等式(第2法則のエントロピー表現)
任意の過程(可逆・不可逆含む)において:
$$dS \geq \frac{\delta Q}{T}$$
等号は可逆過程、不等号は不可逆過程に対応します。
孤立系(外部との熱・物質交換がない)では:
$$\Delta S_{\text{isolated}} \geq 0$$
等号は可逆過程(平衡状態)、不等号は不可逆過程(自発的変化)を意味します。
💡 第2法則の意味
孤立系のエントロピーは決して減少しない。これは自然界の基本法則であり、時間の方向性(過去から未来)を決定します。系が平衡状態に達すると、エントロピーは最大値となり、それ以上の自発的変化は起こりません。
2.2 エントロピーの統計力学的解釈
Boltzmannの関係式
エントロピーの物理的意味は、統計力学により明らかになります。Ludwig Boltzmannは、エントロピーと微視的状態数(マイクロ状態数)の関係を導きました。
Boltzmannのエントロピー
$$S = k_B \ln W$$
ここで:
- $S$: エントロピー(J/K)
- $k_B = 1.38 \times 10^{-23}$ J/K: Boltzmann定数
- $W$: そのマクロ状態を実現するマイクロ状態の数
マクロ状態とマイクロ状態
マクロ状態(Macrostate): 温度、圧力、体積、組成など、巨視的に測定可能な量で特徴づけられる状態
マイクロ状態(Microstate): 各粒子の位置、運動量など、微視的な配置で特徴づけられる状態。同じマクロ状態でも、多数の異なるマイクロ状態が存在しうる。
例:コインの配置エントロピー
10枚のコインを投げたとき、表(H)と裏(T)の出方を考えます。
マクロ状態: 表の枚数(0〜10枚)
マイクロ状態: 各コインの具体的な配置(例:HHTTHTHHTT)
表5枚・裏5枚のマクロ状態:
$$W = \binom{10}{5} = \frac{10!}{5! \cdot 5!} = 252 \text{ 通り}$$
$$S = k_B \ln 252 \approx 5.53 k_B$$
全て表のマクロ状態:
$$W = 1 \text{ 通り(HHHHHHHHHHのみ)}$$
$$S = k_B \ln 1 = 0$$
結論: 表と裏が均等に混ざった状態(高エントロピー)の方が、全て揃った状態(低エントロピー)より圧倒的に実現しやすい。
エントロピーと「無秩序さ」
エントロピーが高い状態ほど、系が取りうるマイクロ状態の数が多い、つまり無秩序です。逆に、エントロピーが低い状態は秩序だった状態です。
材料科学での例:
- 完全結晶(0 K): 原子が規則的に配列 → エントロピー最小(第3法則: $S = 0$)
- 液体: 原子配置がランダム → エントロピー高
- 気体: 原子が自由に運動 → エントロピー最高
- ランダム固溶体: 異種原子がランダムに混合 → 混合エントロピー大
2.3 エントロピー変化の計算
可逆過程でのエントロピー変化
等温過程($T = \text{const}$):
$$\Delta S = \frac{Q_{\text{rev}}}{T}$$
加熱・冷却過程:
熱容量が $C$ の系を温度 $T_1$ から $T_2$ へ変化させるとき:
$$\Delta S = \int_{T_1}^{T_2} \frac{C}{T} dT$$
$C$ が温度に依存しないなら:
$$\Delta S = C \ln\frac{T_2}{T_1}$$
理想気体の等温膨張:
$$\Delta S = nR \ln\frac{V_2}{V_1}$$
不可逆過程とエントロピー生成
不可逆過程では、系と外界を含む全体(孤立系)のエントロピーが増加します。
エントロピー生成(Entropy Production)$\Delta S_{\text{gen}}$:
$$\Delta S_{\text{total}} = \Delta S_{\text{system}} + \Delta S_{\text{surroundings}} = \Delta S_{\text{gen}} \geq 0$$
例題2.1:熱伝導によるエントロピー生成
問題: 高温物体(500 K、熱容量10 kJ/K)と低温物体(300 K、熱容量10 kJ/K)を接触させ、熱平衡に達した。全系のエントロピー変化を求めよ。
解答を見る
解答:
Step 1: 最終温度を求める
エネルギー保存則より:
$$C_H (T_H - T_f) = C_C (T_f - T_C)$$
$$10 (500 - T_f) = 10 (T_f - 300)$$
$$T_f = 400 \text{ K}$$
Step 2: 各物体のエントロピー変化
高温物体: $\Delta S_H = C_H \ln\frac{T_f}{T_H} = 10 \ln\frac{400}{500} = 10 \times (-0.223) = -2.23$ kJ/K
低温物体: $\Delta S_C = C_C \ln\frac{T_f}{T_C} = 10 \ln\frac{400}{300} = 10 \times 0.288 = 2.88$ kJ/K
Step 3: 全系のエントロピー変化
$$\Delta S_{\text{total}} = \Delta S_H + \Delta S_C = -2.23 + 2.88 = 0.65 \text{ kJ/K} > 0$$
結論: 不可逆な熱伝導により、全系のエントロピーは増加した。これはエネルギーが保存される($\Delta U = 0$)にもかかわらず、系の「質」が劣化したことを意味します。
相転移のエントロピー変化
相転移(融解、蒸発など)では、潜熱 $L$ を温度 $T$ で吸収・放出します。
融解のエントロピー変化:
$$\Delta S_{\text{fus}} = \frac{L_{\text{fus}}}{T_m}$$
蒸発のエントロピー変化:
$$\Delta S_{\text{vap}} = \frac{L_{\text{vap}}}{T_b}$$
| 物質 | 融解エントロピー (J/(mol·K)) | 蒸発エントロピー (J/(mol·K)) |
|---|---|---|
| 水(H₂O) | 22.0 | 109 |
| 鉄(Fe) | 7.6 | 115 |
| アルミニウム(Al) | 10.7 | 293 |
| 銅(Cu) | 9.6 | 305 |
Troutonの規則: 多くの液体で、蒸発エントロピーは約 $85\text{-}90$ J/(mol·K) になります(極性分子を除く)。
2.4 材料科学におけるエントロピー
配置エントロピー(混合エントロピー)
合金や化合物において、異種原子がランダムに配置されるとき、その配置の多様性が配置エントロピー(Configurational Entropy)を生みます。
理想混合エントロピー
$N$ 個の格子点に $N_A$ 個のA原子と $N_B$ 個のB原子($N_A + N_B = N$)をランダムに配置するとき、マイクロ状態数は:
$$W = \frac{N!}{N_A! \cdot N_B!}$$
Stirlingの近似($\ln N! \approx N \ln N - N$)を使うと:
$$S_{\text{config}} = k_B \ln W = -Nk_B (x_A \ln x_A + x_B \ln x_B)$$
1モルあたりでは($Nk_B = R$):
$$\Delta S_{\text{mix}} = -R(x_A \ln x_A + x_B \ln x_B)$$
ここで $x_A = N_A/N$, $x_B = N_B/N$ はモル分率です。
多成分系への拡張:
$$\Delta S_{\text{mix}} = -R \sum_{i} x_i \ln x_i$$
例題2.2:Cu-Ni合金の混合エントロピー
問題: Cu 50 at%, Ni 50 at% のランダム固溶体の混合エントロピーを求めよ(1モルあたり)。
解答を見る
解答:
$$x_{\text{Cu}} = 0.5, \quad x_{\text{Ni}} = 0.5$$
$$\Delta S_{\text{mix}} = -R(x_{\text{Cu}} \ln x_{\text{Cu}} + x_{\text{Ni}} \ln x_{\text{Ni}})$$
$$= -8.314 \times (0.5 \ln 0.5 + 0.5 \ln 0.5)$$
$$= -8.314 \times (2 \times 0.5 \times (-0.693))$$
$$= 5.76 \text{ J/(mol·K)}$$
考察: この正のエントロピー変化は、混合によりギブスエネルギーを下げる($\Delta G = \Delta H - T\Delta S$)ため、合金形成を促進します。室温(298 K)では、$-T\Delta S_{\text{mix}} = -1717$ J/mol のエネルギー利得があります。
欠陥形成エントロピー
結晶中の点欠陥(空孔、格子間原子)の形成には、エネルギー(エンタルピー)だけでなく、配置エントロピーも寄与します。
空孔の平衡濃度:
$N$ 個の格子点に $n$ 個の空孔を作るとき、配置数は:
$$W = \frac{N!}{n!(N-n)!}$$
空孔形成のギブスエネルギー変化を最小化すると:
$$\frac{n}{N} = \exp\left(-\frac{\Delta G_f}{k_B T}\right) = \exp\left(\frac{\Delta S_f}{k_B}\right) \exp\left(-\frac{\Delta H_f}{k_B T}\right)$$
ここで、$\Delta H_f$ は空孔形成エンタルピー(約1 eV)、$\Delta S_f$ は空孔形成エントロピー(約$2k_B$)です。
| 材料 | 空孔形成エンタルピー (eV) | 融点での平衡空孔濃度 |
|---|---|---|
| アルミニウム | 0.68 | $10^{-4}$ |
| 銅 | 1.0 | $2 \times 10^{-4}$ |
| 鉄 | 1.4 | $2 \times 10^{-4}$ |
| ニッケル | 1.6 | $10^{-4}$ |
秩序-無秩序転移
合金において、低温では原子が規則的に配列(規則相)し、高温ではランダム配置(不規則相)になる転移が起こります。
規則化のギブスエネルギー:
$$\Delta G_{\text{order}} = \Delta H_{\text{order}} - T\Delta S_{\text{order}}$$
- $\Delta H_{\text{order}} < 0$: 規則化により結合エネルギーが低下(安定化)
- $\Delta S_{\text{order}} < 0$: 規則化により配置エントロピーが減少(不安定化)
臨界温度 $T_c$: 規則-無秩序転移が起こる温度
$$T_c \approx \frac{\Delta H_{\text{order}}}{\Delta S_{\text{order}}}$$
💡 材料設計への示唆
高温では、エントロピー項($-T\Delta S$)が支配的になり、無秩序な相(ランダム固溶体、液相)が安定になります。低温では、エンタルピー項($\Delta H$)が支配的になり、秩序だった相(規則相、金属間化合物)が安定になります。この温度依存性が相図の形を決定します。
2.5 Carnotサイクルと熱効率
Carnotサイクルの原理
Carnotサイクルは、2つの熱源(高温 $T_H$、低温 $T_C$)の間で動作する理想的な可逆熱機関のサイクルです。
T=T_H, 熱吸収Q_H] --> B[2. 断熱膨張
T_H → T_C] B --> C[3. 等温圧縮
T=T_C, 熱放出Q_C] C --> D[4. 断熱圧縮
T_C → T_H] D --> A style A fill:#ff9999,stroke:#cc0000,stroke-width:2px style B fill:#ffcc99,stroke:#ff9900,stroke-width:2px style C fill:#99ccff,stroke:#0066cc,stroke-width:2px style D fill:#cc99ff,stroke:#9900cc,stroke-width:2px
Carnot効率
Carnotサイクルの熱効率(Thermal Efficiency)は:
Carnot効率
$$\eta_{\text{Carnot}} = \frac{W_{\text{net}}}{Q_H} = 1 - \frac{Q_C}{Q_H} = 1 - \frac{T_C}{T_H}$$
ここで:
- $W_{\text{net}}$: 正味の仕事($= Q_H - Q_C$)
- $Q_H$: 高温熱源から吸収する熱
- $Q_C$: 低温熱源へ放出する熱
重要な結論:
- Carnot効率は、与えられた2つの温度の間で動作するあらゆる熱機関の効率の上限
- 効率100%($\eta = 1$)を達成するには、$T_C = 0$ K(絶対零度)が必要→実現不可能
- 実際の熱機関(内燃機関、火力発電)は不可逆性により、Carnot効率より必ず低い
例題2.3:火力発電所の最大効率
問題: 蒸気温度600°C(873 K)、冷却水温度25°C(298 K)の火力発電所の理論最大効率を求めよ。
解答を見る
解答:
$$\eta_{\text{max}} = 1 - \frac{T_C}{T_H} = 1 - \frac{298}{873} = 1 - 0.341 = 0.659 = 65.9\%$$
実際の効率: 現実の火力発電所の効率は約40%です。Carnot効率との差(25.9%)は、以下の不可逆性により失われます:
- 燃焼過程の不可逆性
- 熱伝達における温度差
- タービンや配管での摩擦損失
材料的制約: 蒸気温度を上げれば効率は向上しますが、材料の耐熱性が限界となります。最新の超々臨界圧発電では、Ni基超合金を使用して蒸気温度を700°C以上に上げ、効率45%を達成しています。
材料プロセスへの応用
Carnot効率の概念は、材料プロセスのエネルギー効率を評価する指針となります:
- 製鉄プロセス: 高炉(1500°C)と環境(25°C)の温度差から、理論最大効率は約83%
- 熱処理炉: 加熱・冷却サイクルの効率改善には、排熱回収が有効
- 熱電変換材料: Carnot効率に近づくため、高いゼーベック係数と低い熱伝導率が求められる
2.6 Pythonによるエントロピー計算
以下では、本章で学んだ概念をPythonで実装し、視覚的に理解を深めます。コード例は実行可能で、パラメータを変更して実験できます。
注: これらのコードは教育目的の簡略化されたモデルです。実際の材料設計では、CALPHADデータベースやDFT計算を組み合わせた高精度計算が必要です。
本章のまとめ
学んだこと
- 熱力学第2法則
- Clausius表現、Kelvin-Planck表現、エントロピー表現
- 孤立系のエントロピーは決して減少しない($\Delta S \geq 0$)
- 自発的変化の方向性を決定する基本法則
- エントロピーの統計力学的解釈
- Boltzmann式: $S = k_B \ln W$(マイクロ状態数との関係)
- エントロピーは「無秩序さの尺度」
- マクロ状態を実現する配置の多様性がエントロピーを生む
- エントロピー計算
- 可逆過程: $dS = \delta Q_{\text{rev}} / T$
- 不可逆過程: エントロピー生成 $\Delta S_{\text{gen}} > 0$
- 相転移: $\Delta S = L / T$
- 材料科学でのエントロピー
- 配置エントロピー(混合エントロピー): $\Delta S_{\text{mix}} = -R\sum x_i \ln x_i$
- 欠陥形成エントロピーと平衡欠陥濃度
- 秩序-無秩序転移におけるエントロピーの役割
- Carnotサイクル
- 理想的な可逆熱機関のサイクル
- Carnot効率: $\eta = 1 - T_C / T_H$(理論上限)
- 材料の耐熱性が効率の上限を決定
重要なポイント
- エントロピーは自発的変化の方向性を決定する最も重要な熱力学量
- 高温ではエントロピー項が支配的となり、無秩序な相(液相、不規則固溶体)が安定になる
- 混合エントロピーは合金の固溶性を高め、相安定性に大きく寄与する
- 欠陥(空孔)の存在はエントロピー的に有利であり、完全結晶は準安定状態
- Carnot効率は熱機関の理論上限を与え、材料開発の指針となる
次の章へ
第3章では、相平衡と相図の基礎を学びます:
- ギブスエネルギーと化学ポテンシャル
- 相平衡の条件(化学ポテンシャル均等)
- ギブスの相律とその応用
- 一成分系相図(水、鉄の同素変態)
- 共通接線法による相分離の理解
- 材料の状態図の読み方