第2章:エントロピーと第2法則

不可逆性と自発的変化を支配する熱力学の基本原理

📖 読了時間: 35-40分 📊 難易度: 中級 💻 コード例: 5個

エントロピーは「無秩序さの尺度」として知られますが、その本質は自発的変化の方向性を決定する熱力学量です。第2法則は、孤立系ではエントロピーが常に増加することを述べ、自然界の不可逆性を説明します。材料科学では、エントロピーが相安定性、合金の混合挙動、欠陥形成を支配します。

学習目標

この章を読むことで、以下を習得できます:

基本理解(Basic Understanding)

実践スキル(Practical Skills)

応用力(Application)


2.1 熱力学第2法則の定式化

自発的変化とエントロピー

第1法則(エネルギー保存則)は、エネルギーが保存されることを述べますが、変化の方向性については何も教えてくれません。例えば:

これらの逆過程(低温から高温への自然な熱流、気体が容器の片側に自発的に集まる)は、エネルギー保存則に矛盾しないにもかかわらず、自然には起こりません。この自発的変化の方向性を支配するのが、熱力学第2法則です。

第2法則の古典的表現

Clausiusの表現

熱は低温物体から高温物体へ自発的には流れない。他に何の変化も残さずに、低温側から高温側へ熱を移すことは不可能である。

Kelvin-Planckの表現

単一の熱源から熱を吸収し、それを全て仕事に変換して他に何の変化も残さないような熱機関(第2種永久機関)は実現不可能である。

これら2つの表現は等価であり、どちらも熱エネルギーの不可逆的な性質を述べています。

エントロピー表現

Clausiusは、第2法則を数学的に表現するためにエントロピー(Entropy)$S$という状態量を導入しました。

エントロピー変化の定義

可逆過程において、系が微小な熱量 $\delta Q_{\text{rev}}$ を温度 $T$ で吸収するとき、エントロピー変化は:

$$dS = \frac{\delta Q_{\text{rev}}}{T}$$

有限の過程では:

$$\Delta S = \int \frac{\delta Q_{\text{rev}}}{T}$$

Clausiusの不等式(第2法則のエントロピー表現)

任意の過程(可逆・不可逆含む)において:

$$dS \geq \frac{\delta Q}{T}$$

等号は可逆過程、不等号は不可逆過程に対応します。

孤立系(外部との熱・物質交換がない)では:

$$\Delta S_{\text{isolated}} \geq 0$$

等号は可逆過程(平衡状態)、不等号は不可逆過程(自発的変化)を意味します。

💡 第2法則の意味

孤立系のエントロピーは決して減少しない。これは自然界の基本法則であり、時間の方向性(過去から未来)を決定します。系が平衡状態に達すると、エントロピーは最大値となり、それ以上の自発的変化は起こりません。


2.2 エントロピーの統計力学的解釈

Boltzmannの関係式

エントロピーの物理的意味は、統計力学により明らかになります。Ludwig Boltzmannは、エントロピーと微視的状態数(マイクロ状態数)の関係を導きました。

Boltzmannのエントロピー

$$S = k_B \ln W$$

ここで:

マクロ状態とマイクロ状態

マクロ状態(Macrostate): 温度、圧力、体積、組成など、巨視的に測定可能な量で特徴づけられる状態

マイクロ状態(Microstate): 各粒子の位置、運動量など、微視的な配置で特徴づけられる状態。同じマクロ状態でも、多数の異なるマイクロ状態が存在しうる。

例:コインの配置エントロピー

10枚のコインを投げたとき、表(H)と裏(T)の出方を考えます。

マクロ状態: 表の枚数(0〜10枚)

マイクロ状態: 各コインの具体的な配置(例:HHTTHTHHTT)

表5枚・裏5枚のマクロ状態:

$$W = \binom{10}{5} = \frac{10!}{5! \cdot 5!} = 252 \text{ 通り}$$

$$S = k_B \ln 252 \approx 5.53 k_B$$

全て表のマクロ状態:

$$W = 1 \text{ 通り(HHHHHHHHHHのみ)}$$

$$S = k_B \ln 1 = 0$$

結論: 表と裏が均等に混ざった状態(高エントロピー)の方が、全て揃った状態(低エントロピー)より圧倒的に実現しやすい。

エントロピーと「無秩序さ」

エントロピーが高い状態ほど、系が取りうるマイクロ状態の数が多い、つまり無秩序です。逆に、エントロピーが低い状態は秩序だった状態です。

材料科学での例:


2.3 エントロピー変化の計算

可逆過程でのエントロピー変化

等温過程($T = \text{const}$):

$$\Delta S = \frac{Q_{\text{rev}}}{T}$$

加熱・冷却過程:

熱容量が $C$ の系を温度 $T_1$ から $T_2$ へ変化させるとき:

$$\Delta S = \int_{T_1}^{T_2} \frac{C}{T} dT$$

$C$ が温度に依存しないなら:

$$\Delta S = C \ln\frac{T_2}{T_1}$$

理想気体の等温膨張:

$$\Delta S = nR \ln\frac{V_2}{V_1}$$

不可逆過程とエントロピー生成

不可逆過程では、系と外界を含む全体(孤立系)のエントロピーが増加します。

エントロピー生成(Entropy Production)$\Delta S_{\text{gen}}$:

$$\Delta S_{\text{total}} = \Delta S_{\text{system}} + \Delta S_{\text{surroundings}} = \Delta S_{\text{gen}} \geq 0$$

例題2.1:熱伝導によるエントロピー生成

問題: 高温物体(500 K、熱容量10 kJ/K)と低温物体(300 K、熱容量10 kJ/K)を接触させ、熱平衡に達した。全系のエントロピー変化を求めよ。

解答を見る

解答:

Step 1: 最終温度を求める

エネルギー保存則より:

$$C_H (T_H - T_f) = C_C (T_f - T_C)$$

$$10 (500 - T_f) = 10 (T_f - 300)$$

$$T_f = 400 \text{ K}$$

Step 2: 各物体のエントロピー変化

高温物体: $\Delta S_H = C_H \ln\frac{T_f}{T_H} = 10 \ln\frac{400}{500} = 10 \times (-0.223) = -2.23$ kJ/K

低温物体: $\Delta S_C = C_C \ln\frac{T_f}{T_C} = 10 \ln\frac{400}{300} = 10 \times 0.288 = 2.88$ kJ/K

Step 3: 全系のエントロピー変化

$$\Delta S_{\text{total}} = \Delta S_H + \Delta S_C = -2.23 + 2.88 = 0.65 \text{ kJ/K} > 0$$

結論: 不可逆な熱伝導により、全系のエントロピーは増加した。これはエネルギーが保存される($\Delta U = 0$)にもかかわらず、系の「質」が劣化したことを意味します。

相転移のエントロピー変化

相転移(融解、蒸発など)では、潜熱 $L$ を温度 $T$ で吸収・放出します。

融解のエントロピー変化:

$$\Delta S_{\text{fus}} = \frac{L_{\text{fus}}}{T_m}$$

蒸発のエントロピー変化:

$$\Delta S_{\text{vap}} = \frac{L_{\text{vap}}}{T_b}$$

物質 融解エントロピー (J/(mol·K)) 蒸発エントロピー (J/(mol·K))
水(H₂O) 22.0 109
鉄(Fe) 7.6 115
アルミニウム(Al) 10.7 293
銅(Cu) 9.6 305

Troutonの規則: 多くの液体で、蒸発エントロピーは約 $85\text{-}90$ J/(mol·K) になります(極性分子を除く)。


2.4 材料科学におけるエントロピー

配置エントロピー(混合エントロピー)

合金や化合物において、異種原子がランダムに配置されるとき、その配置の多様性が配置エントロピー(Configurational Entropy)を生みます。

理想混合エントロピー

$N$ 個の格子点に $N_A$ 個のA原子と $N_B$ 個のB原子($N_A + N_B = N$)をランダムに配置するとき、マイクロ状態数は:

$$W = \frac{N!}{N_A! \cdot N_B!}$$

Stirlingの近似($\ln N! \approx N \ln N - N$)を使うと:

$$S_{\text{config}} = k_B \ln W = -Nk_B (x_A \ln x_A + x_B \ln x_B)$$

1モルあたりでは($Nk_B = R$):

$$\Delta S_{\text{mix}} = -R(x_A \ln x_A + x_B \ln x_B)$$

ここで $x_A = N_A/N$, $x_B = N_B/N$ はモル分率です。

多成分系への拡張:

$$\Delta S_{\text{mix}} = -R \sum_{i} x_i \ln x_i$$

例題2.2:Cu-Ni合金の混合エントロピー

問題: Cu 50 at%, Ni 50 at% のランダム固溶体の混合エントロピーを求めよ(1モルあたり)。

解答を見る

解答:

$$x_{\text{Cu}} = 0.5, \quad x_{\text{Ni}} = 0.5$$

$$\Delta S_{\text{mix}} = -R(x_{\text{Cu}} \ln x_{\text{Cu}} + x_{\text{Ni}} \ln x_{\text{Ni}})$$

$$= -8.314 \times (0.5 \ln 0.5 + 0.5 \ln 0.5)$$

$$= -8.314 \times (2 \times 0.5 \times (-0.693))$$

$$= 5.76 \text{ J/(mol·K)}$$

考察: この正のエントロピー変化は、混合によりギブスエネルギーを下げる($\Delta G = \Delta H - T\Delta S$)ため、合金形成を促進します。室温(298 K)では、$-T\Delta S_{\text{mix}} = -1717$ J/mol のエネルギー利得があります。

欠陥形成エントロピー

結晶中の点欠陥(空孔、格子間原子)の形成には、エネルギー(エンタルピー)だけでなく、配置エントロピーも寄与します。

空孔の平衡濃度:

$N$ 個の格子点に $n$ 個の空孔を作るとき、配置数は:

$$W = \frac{N!}{n!(N-n)!}$$

空孔形成のギブスエネルギー変化を最小化すると:

$$\frac{n}{N} = \exp\left(-\frac{\Delta G_f}{k_B T}\right) = \exp\left(\frac{\Delta S_f}{k_B}\right) \exp\left(-\frac{\Delta H_f}{k_B T}\right)$$

ここで、$\Delta H_f$ は空孔形成エンタルピー(約1 eV)、$\Delta S_f$ は空孔形成エントロピー(約$2k_B$)です。

材料 空孔形成エンタルピー (eV) 融点での平衡空孔濃度
アルミニウム 0.68 $10^{-4}$
1.0 $2 \times 10^{-4}$
1.4 $2 \times 10^{-4}$
ニッケル 1.6 $10^{-4}$

秩序-無秩序転移

合金において、低温では原子が規則的に配列(規則相)し、高温ではランダム配置(不規則相)になる転移が起こります。

規則化のギブスエネルギー:

$$\Delta G_{\text{order}} = \Delta H_{\text{order}} - T\Delta S_{\text{order}}$$

臨界温度 $T_c$: 規則-無秩序転移が起こる温度

$$T_c \approx \frac{\Delta H_{\text{order}}}{\Delta S_{\text{order}}}$$

💡 材料設計への示唆

高温では、エントロピー項($-T\Delta S$)が支配的になり、無秩序な相(ランダム固溶体、液相)が安定になります。低温では、エンタルピー項($\Delta H$)が支配的になり、秩序だった相(規則相、金属間化合物)が安定になります。この温度依存性が相図の形を決定します。


2.5 Carnotサイクルと熱効率

Carnotサイクルの原理

Carnotサイクルは、2つの熱源(高温 $T_H$、低温 $T_C$)の間で動作する理想的な可逆熱機関のサイクルです。

flowchart TD A[1. 等温膨張
T=T_H, 熱吸収Q_H] --> B[2. 断熱膨張
T_H → T_C] B --> C[3. 等温圧縮
T=T_C, 熱放出Q_C] C --> D[4. 断熱圧縮
T_C → T_H] D --> A style A fill:#ff9999,stroke:#cc0000,stroke-width:2px style B fill:#ffcc99,stroke:#ff9900,stroke-width:2px style C fill:#99ccff,stroke:#0066cc,stroke-width:2px style D fill:#cc99ff,stroke:#9900cc,stroke-width:2px

Carnot効率

Carnotサイクルの熱効率(Thermal Efficiency)は:

Carnot効率

$$\eta_{\text{Carnot}} = \frac{W_{\text{net}}}{Q_H} = 1 - \frac{Q_C}{Q_H} = 1 - \frac{T_C}{T_H}$$

ここで:

重要な結論:

例題2.3:火力発電所の最大効率

問題: 蒸気温度600°C(873 K)、冷却水温度25°C(298 K)の火力発電所の理論最大効率を求めよ。

解答を見る

解答:

$$\eta_{\text{max}} = 1 - \frac{T_C}{T_H} = 1 - \frac{298}{873} = 1 - 0.341 = 0.659 = 65.9\%$$

実際の効率: 現実の火力発電所の効率は約40%です。Carnot効率との差(25.9%)は、以下の不可逆性により失われます:

  • 燃焼過程の不可逆性
  • 熱伝達における温度差
  • タービンや配管での摩擦損失

材料的制約: 蒸気温度を上げれば効率は向上しますが、材料の耐熱性が限界となります。最新の超々臨界圧発電では、Ni基超合金を使用して蒸気温度を700°C以上に上げ、効率45%を達成しています。

材料プロセスへの応用

Carnot効率の概念は、材料プロセスのエネルギー効率を評価する指針となります:


2.6 Pythonによるエントロピー計算

以下では、本章で学んだ概念をPythonで実装し、視覚的に理解を深めます。コード例は実行可能で、パラメータを変更して実験できます。

: これらのコードは教育目的の簡略化されたモデルです。実際の材料設計では、CALPHADデータベースやDFT計算を組み合わせた高精度計算が必要です。


本章のまとめ

学んだこと

  1. 熱力学第2法則
    • Clausius表現、Kelvin-Planck表現、エントロピー表現
    • 孤立系のエントロピーは決して減少しない($\Delta S \geq 0$)
    • 自発的変化の方向性を決定する基本法則
  2. エントロピーの統計力学的解釈
    • Boltzmann式: $S = k_B \ln W$(マイクロ状態数との関係)
    • エントロピーは「無秩序さの尺度」
    • マクロ状態を実現する配置の多様性がエントロピーを生む
  3. エントロピー計算
    • 可逆過程: $dS = \delta Q_{\text{rev}} / T$
    • 不可逆過程: エントロピー生成 $\Delta S_{\text{gen}} > 0$
    • 相転移: $\Delta S = L / T$
  4. 材料科学でのエントロピー
    • 配置エントロピー(混合エントロピー): $\Delta S_{\text{mix}} = -R\sum x_i \ln x_i$
    • 欠陥形成エントロピーと平衡欠陥濃度
    • 秩序-無秩序転移におけるエントロピーの役割
  5. Carnotサイクル
    • 理想的な可逆熱機関のサイクル
    • Carnot効率: $\eta = 1 - T_C / T_H$(理論上限)
    • 材料の耐熱性が効率の上限を決定

重要なポイント

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第3章では、相平衡と相図の基礎を学びます:

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